当山の恵比寿天像(三代目)
礼拝するときには合掌して「なむ ふくとく えびすてんそん」(南無 福徳 恵比寿天尊)とお唱えし、心の中では「恵比寿天の律儀の徳が備わりますように」と念じます。一般の恵比寿天と違って、鯛は左脇に抱えておらず、足下の波間からいまにも釣り上げんとする独特のお姿です。お姿のご開帳期間は元旦から七草までですが、本堂正面に向かって少し右の窓際に安置してあるため、期間外でも堂前よりガラス越しに拝むことができます。後背の葛籠に入れて背負うことが出来るよう小さく作られていることが災いして、残念ながらこの像は現在三代目で、初代と二代は盗難にあって行方不明です。初代と二代は、鯛を左脇に抱えているお姿でした。
恵比寿天とは
七福神の恵比寿天は、もともとは兵庫県西宮神社の祭神で、『古事記』には、恵比寿天は「ひるこのみこと」(蛭子命)であり、イザナギとイザナミの結婚によって生まれた子供だったが、蛭子であったため葦の船で海に流され捨てられた、とあります。
有名な西宮神社の伝説は、蛭子命が摂津の国西の浦に漂着したところから始まっています。それまでは航海安全と漁業の神でした。のちに時代が下って商業が発展してくるにつれて、商人や市場の守護神としての性格を持つようになりました。おおよそ室町時代のことと推定されています。
大阪商人の信者を多数抱える西宮信仰は様々な展開をみせ、やがて七福神のひとつ、商売繁盛の神として崇拝されるようになりました。七福神の中では唯一日本を起源とする神でもあります。
天というのは、仏教徒の立場から仏教を守護する神をあらわす言葉で、神道の立場からの呼称は「恵比寿神」、「戎大神」または「夷三郎大明神」となります。